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ノートパソコンのスクロールする部分を指で操作していましたら、「熱い!」と気づいたときにはすでに遅く、指先にやけどをさせられていました。彼らは、その科学力を使って家電品を加熱できるようです。
メーカーのパソコン自体やけどするほど加熱されるような設定になっているわけがないし、私がマウスを使わず指でスクロールをしているのを知っていての工作だと思います。

(やけどによる指先腹の水ぶくれ)
(本文)
我々
集団ストーカー被害者の置かれている境遇とは、質は違いますが、前半生をたいへんな思いをしながら、生きてきた、ある方のコメントです。
とても勇気をいただきました。
私は中卒だから間違った言葉使いがあるかもしれませんが、許してくだい、との前置きの
後に、次のコメントが続きます。
私は30代ですが、幼い頃は施設にいました。
施設の中でも大変で辛い日々が多かったので、
中学卒業して、すぐに住み込みの仕事をしました。
2年ほど頑張って親戚に保証人になってもらい、小さくて暗いアパートに引越し、施設にいる兄弟3人を引き取りました。
弟達だけは高校に進学してほしかったので、私は朝から夜まで働き、夜はご飯を作ってから夜の仕事に向かいました。
朝、弟達は新聞配達に行き、私は朝食とお弁当を作って送り出し、それからまた仕事です。
本当に大変だったけど・・・何でも我慢できました。
施設でのイジメ 仕事先でのイジメ
住み込み先では、オーナーの機嫌が悪いと、先輩を使って頭に色んな薬品をかけられたり食費代がもったいないと言って、私の食事は1日一回でした。
おかわりは許されません。16才ですから毎日お腹が空いて大変でしたが生きるのに一生懸命でした。
悩む暇がなく、一日一回の食事に何度、感謝したことか分かりません(パンの耳だけの食事が多かったですが笑)。
弟達は頑張って高校と専門学校を卒業し、今は家族ができて、みんな幸せに暮らしています。
私が16才からしていた自己流先祖供養を弟達もいまだにしています。
幼い頃はいろいろありましたが、今は笑ってこのように書き込みが出来ています。
イジメられたことも良い思い出ですよ(笑)。
生きるってとても大変だけど・・・生かして頂いてるって素晴らしいことだと思います。
本当に「生かして頂いて有難う御座います」です^^ 引用ここまで
このコメントを読んで思わず泣いてしまいました。
この豊かな現代日本に、まだこんな境遇の方がいたなんて。。。
16歳の食べ盛りに、一日一回のパンの耳の食事に感謝が湧いてくるなんて。。。
私は一日三食、たまにはお酒までいただいているのに。
このコメントを読む限り、自分の境涯に対する恨み、つらみ、など全く無く、それを
乗り越えてきた強さを感じました。
戦中戦後間もなくの絶望を乗り越えてきた先人の強さと同じものを感じました。
外から見れば、何て不幸な環境で、と思いますが、当時のコメントの彼女にしてみたら、何のへんてつも無い日常生活だったのかもしれません。
ただただ、自分の身の回りで起こるできごとすべてに対して、不平不満を言うこともなく、
たんたんと
受け容れてきた。私が、16歳という若さで彼女と同じ境遇に置かれていて、果たして彼女のように生き切れていたかどうか。
今もですが、気がつけば、加害者のありとあらゆる工作、嫌がらせに対して怒り、恨み、つらみ、愚痴を言っている自分に気づきます。
どんな過酷な境遇にあろうと、恨み、つらみ、愚痴、泣き言、を言わず
たんたんと受け切っていくのならば、一日一回のパンの耳の食事にさえ
感謝の思いが湧いてくる。そんなことを彼女が言っているような気がしました。
彼女のように現状を受け容れた上で感謝することにより未来は開けてくるのかもしれません。このコメントの彼女には教えられました。
我々
集団ストーカー被害者も、生きていれば、彼女のようにいつかきっと笑顔を取り戻せる日がくるのかもしれませんね。
この記事を読んでいらっしゃる一般の方には、この飽食日本において、これだけ過酷な環境で生きざるを得なかった人が居たという事実に驚いたかもしれませんが、
一見、平和に見えるこの日本において、日々、ハイテク電磁機器にて、いつ殺されるかわからないという死の恐怖に直面している、我々
集団ストーカー被害者のことも忘れないでいてください。
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- 2009/08/25(火) 22:00:24|
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